朝読書 心なしか朝起きてすぐに読書をした日は何事にも集中できる。この集中力は夕方まで維持するので大抵の事は上手くいく。また、周囲が騒然としていても気にならない。平時は呶鳴りつけたくなるような騒音も、「ああそんなに騒ぎたいんだな、余程良いことがあったのだろうな」と落ち着いていられる。遅く起きると自分が空洞化したような感覚になって何も手に着かない。今は論文を書かなければならない時期なのだが、そういう気分にならないので困る。どうも頭が働かない。これは、起き抜けに読書をしてもいけない。何かをはじめようという気に一向ならないのである。よしやるぞと意気込んでも、形だけで内容のない取組みになる。勉強をしても身につかず、作文は口から出まかせになり読み返すのが恐ろしいほどである。この有様では一日中寝ていた方が良かったなぁと後悔するに至る。また、読む本は何でも良いが、その道の一流のものがよいと思う。今朝は『この人を見よ』という小林秀雄全集の月報集を読んだ。どの作品も短く簡潔にまとめられていて、読んでいて飽きない。それでいて各作家それぞれの個性が良く出ている。一流の作品には迷いがない。凡作家は言葉を探すが一流は言葉を捨てる、と小林秀雄は云った。作品は作家の頭に詰まった叡智を、捨てに捨てた秘奥の結晶である。この迷いのなさが私のような平凡な読者にも伝わり、私は淀みない青渓のほとりに立つ思いがする。清々しい。これが凡作家になると、泥濘を歩くのに付き合わされているような気になる。一応淵までたどり着こうとする健気な読者の多くは沼に沈む。だらだら読んで読み切らず、終いには棚の肥やしになる。もっぱら無事に対岸に到着しても息も絶え絶え何も残らないので余計にたちが悪い。最善の対策は、つまらんと思ったらすぐに見切りをつけることだろう。少し話が逸れたができる限り一流のものを読むことを心がけようと思う。現在読んでいるのは中谷宇吉郎の随筆集である。修身教授録も気を引き締めるのに大変役立っている。また、長大橋の科学という一般向けの橋梁本も読んでいる。これは学生にも大変ありがたい本である。この朝読書、子供の頃の習慣がったが、また復活させたい。 PR